24 9月 有名プロ野球選手の面白エピソードをご紹介!
野球がもっと好きになる!
有名プロ野球選手の面白エピソードをご紹介!
こんにちは!野球ユニフォームのオリジナルオーダーでお馴染みのユニフォームのキリフダです!
憧れのプロ野球スター選手になるには類い稀な才能と、誰よりも血の滲むような努力が必要なのは皆様ももうすでにご存じかと思います。そんな有名プロ野球選手の努力と涙の感動物語とは別で、有名選手が語った思いもよらない面白エピソードや逸話があるようです。
今回は、野球が大好きな皆さんとプロ野球選手の現役時代の面白エピソードや珍しい話をご紹介しようとブログにしました!
もうすでに知っていた方も、詳しく知らなかった方も、たまにはこんな記事で有名選手の知られざる一面や野球の面白さをぜひ味わってみてくださいね。
ますます野球が好きになること間違いなしだと思います。では早速いってみましょう。
山崎武司の一番苦手なスポーツは野球!?
プロ野球の世界で27年間、中日、楽天などで活躍した山崎武司氏。ホームラン王も2度獲得しています。しかしそんな山崎武司が一番苦手だったスポーツは野球だったそうです!
山崎氏は「唯一、野球が上手くいかなかったね。中学時代は本塁打数がゼロだし」と当時を振り返っています。
好きで好きで大好きだった野球だった訳ではなく、ずっと苦手意識を持ちながらプロ野球の世界に入ってしまったなんて…羨ましくもありますが…
もちろん、辛い練習は誰でも「嫌だ…辞めたい…」などと思うことはありますが、そもそも好きな野球だから、他のスポーツよりも得意意識があったから野球を頑張れたはずですよね。
山崎氏は野球が苦手でそこまで好きではなかったようです。そして逆に野球に対して思い入れがあまりなかった?分、自分の信念を曲げず豪快にプレーできたのかも知れないですね。
その中には、骨折した状態でホームランを打ったという豪快なエピソードもあるようです!
「その時は、一回折ったことのある箇所だったのですぐ折れたなと分かりました。手が痛いからそのまま見逃し三振しようと思ったのですが、フルカウントから来た球を思わず振ったら決勝本塁打になってしまった」とのこと。豪快ですね!
そしてジャイアンと呼ばれた山崎氏にはもっと豪快なエピソードも!
審判に剛速球を投げつけるなど”最狂”と恐れられた元巨人のバルビーノ・ガルベスにも、猛然とやり合って大乱闘。
「日本の野球を外国人氏に舐めてほしくないという気持ち一心でしたね。そのため自分が乱闘するときは外国人とばかりだった気がします」
確かに、楽天時代にもパウエルやタフィ・ローズと乱闘となっています。
“間違え”から好成績に(1996年、2001年)
1996年にホームラン王を獲得したのですが、実はこの年、メーカーの手違いからバットのインチがいつもより長かったそうです。長さが間違っていると気づいたのがキャンプ中盤だったこともあり、元のバットに変えないままシーズンでも使用したら、いつもより長いバットが幸いし、アウトコースのボールを容易く拾えたことで本塁打量産に繋がったそうです。
また、2000年にもオープン戦でスパイクを忘れて星野監督に怒られたときに「いや、1年間スパイクなしでいくんですよ」と口から出まかせを言ったら、その言葉どおり本当に1シーズン通してスパイクを履かずにプレーしたところ、なんと.311の高打率をマークしてしまったそうです!
豪快な性格で信念が強く曲がったことが大嫌いな山崎氏はプロ野球界では珍しく貴重な存在だったのでしょうね。
ノムさんとの出会い
楽天初代監督となった田尾氏などからのオファーもあり、楽天に移籍。その楽天の一年目には、田尾氏の指導の下で好成績を残した。しかしその田尾氏は1年で解任され、野村克也氏が楽天監督に就任することになりました。
野球ファンならば、野村氏との師弟関係をご存知の方も多いですよね?しかし山崎氏は、野村氏の監督就任を聞いた当初合わないと思ったらしいです。
「性格が合わないだろうから終わったな。どうせ揉めるなら1年間楽しくやって名古屋に帰ろう」と思ったらしいです。
でも実際はというと、野村監督の考えに共感する部分も多く、とあるインタビューでは「野村野球は単純明快、シンプルに考えられて野球が楽になった」とまで山崎氏は語っています。野村野球が単純でシンプルではある理由をこう説明してくれた。
「野村監督は根拠さえしっかりしていれば、結果に対してあまり文句を言いません。根拠を持ったヤマ張りが外れて三振したなら仕方ない。と単純明快な答えを貰ったので、凄くプレーしやすかったです」
と語っていました。
その後、楽天を退団した山崎氏は中日に復帰。最終的に27年もの間、現役でプレーしました。しかし著書を拝見すると「野球に関しては否定の塊」、「野球に人生のすべてを捧げられない」とも書かれていました。
確かにカーレースなど野球以外の趣味も豊富な山崎氏。彼にとって野球とはどういう存在だったのでしょうか?
「ここまで野球に対して、真面目に向かっていってない人間は俺くらいしかいません。だって野球好きじゃないもん(笑)。現役の時も面白くないとずっと思っていました。でも野球の神様は27年間生かしてくれた訳ですから、なんでなんだろうなと思いますよ」
「もしかしたら『俺は野球小僧だ』という気持ちを認めたくないんだろうね。自分はレースなど色々やっていてこその野球だと思っていたい人間で、野球バカにはなりたくないという想いがありますから」と語っておりました。
このように野球が好きではないと言い切った山崎氏の話を聞くと、根っからの野球バカと言われているような野球一筋の選手とは違い、それとは正反対に「野球バカにはなりたくなかった」と語る山崎氏がとても対称的で印象的です。
「自分の居場所はここしかない」と思うか、「自分の居場所は他にもある」と思っているかの違いによって、同じ野球をしていても見えてくる景色も違うような気がしますね。
田口壮氏が語る仰木監督とイチローのエピソード
オリックスが最後に優勝した1996年。イチローらとともにチームの主力選手として大活躍した田口壮氏のエピソードです。
大学生時代は名ショートと目されていましたが、オリックスでは送球イップスが原因で3年目に本格的に外野手に転向し、外野での守備はイチローを上回っているとの評価もあったそうです。俊足であり、肩も強く、イニング間にはよくレフト定位置の田口とライト定位置のイチローとでキャッチボールを行っていたようですね。
田口氏はオリックス時代に送球イップスが原因で外野手へとコンバートされたことがあります。この時のこの決断は球団からのものか?それとも自分で判断したもののどちらからだったのでしょうか?との問いには…
田口氏は「自分からですね。仰木さんに『考えろ』と言われたので、先輩の福良さん(注:現オリックス代行監督)に『どうしたらいいですかね』と聞くと『外野に行かないとクビやろ』と言われまして。仰木さんに言われた2日後には外野でいきますと伝えました。
いざ仰木さんに伝えたときには『簡単に答え出してなめとんのか、本当に外野で勝てんのか?』と怒られたそうです。
いかにも仰木監督らしい受け答えですね!それを笑って語れる田口氏もスゴイです。
しかし外野コンバート後の田口氏は、レフトのレギュラーポジションを獲得。早くも翌年の95年にはゴールデングラブを獲得するなどの活躍を見せました。外野手として活躍できた要因として田口氏は、イップスの症状が外野になってから落ち着いたこと、自分のように強肩・俊足の選手を仰木監督が好きだったことが要因だったそうです。
仰木マジックの裏話
コンバートのきっかけともなった仰木監督といえば、「仰木マジック」と呼ばれる采配などで知られる名将。選手として仰木監督に仕えた印象を田口氏は…
「よく仰木さんの采配は”マジック”と呼ばれますが、実はかなり緻密でデータを重視しています。だから本人からしてみれば、マジックでもなんでもないと思います。怖そうな風貌で大酒飲み、豪快な人なので緻密さは外から見えないと思いますが(笑)」と語っていました。
近くで見ていたからこそ采配の綿密さを感じ取ることができたのかも知れませんね。仰木監督のイメージがガラッと変わります。
イチローについて
同期入団のイチローについての印象を田口氏は、入団当時からイチローの身体能力は凄まじく、「なんだこの身体能力は」と思ったそうです。また、「イチローとは野球の話をした記憶は全然ない」と語る田口氏。その理由は、
「特に守備に関してはお互い話さなくても、考えていることが分かりました。守備についている時、この打者はこういう傾向だからこう守ろうとアイコンタクトで共有してました。仮に意見が違っても『イチロー(田口)がこう動いたのは、こういう考えだからだな』と言葉なしで分かりあっていましたね」
凄い! まさにプロのみぞ知る感覚なんでしょうね!
しかし、田口氏によるとそのような関係性になれるのはプロでもなかなかおらず、イチローとは守りに対する感性が合っていたため、そのようなことができたのだそうです。
なんとも不思議で爽快なエピソードですね!何も言わずとも通じ合っているなんて。
しかもあのイチロー選手とですよ。守備の感性が合っているという貴重な体験談ですよね。
野球をしているとこの人とは感性が似ているな?なんて皆さんも感じる瞬間があるのではないでしょうか?
野球の感性が似ている、なんでも通じ合える、そんな仲間に巡り合い、学生時代はもとより社会人になっても野球を楽しむことができるなんて草野球は素晴らしいですよね。
ユニフォームのキリフダも、こうやって皆様の大好きなかけがえのない野球生活の一部として、オーダー野球ユニフォームを提供できることに感謝し、誇りを感じております。
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